Troisième numéro

Copillage du sujet chez Kateb Yacine : L’écriture archipélagique, ou la cosmographie comme utsushi

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Dans le roman Nedjma (1956), un des chefs-d’œuvre de la littérature algérienne, les deux tiers du texte auraient été supprimés de la version originelle sur demande éditoriale ; cette perte irrémédiable du corps littéraire nous invite à imaginer une marge non-existante de l’univers poétique de l’auteur, Kateb Yacine (1929–89). Cependant, si la lecture du texte actuel laissé par l’auteur est laborieuse, ce n’est pas uniquement en raison du texte manquant ; la décousure de l’imaginaire en acte est la cause du malaise existentiel, laissant apparaître l’intranquillité du sujet dans le monde romanesque.

Si la polyphonie du roman nous révèle la diversité phénoménologique du réel, la singularité de l’écriture katébienne consiste à nous imposer de suivre de nombreux éclats subjectifs dont la somme ne reconstruirait aucune subjectivité à part entière : les personnalités ne se forgent pas de façon réaliste dans le récit, en étant seulement suggérées comme des figures incohérentes pouvant réapparaître chaque fois différemment. Notamment, Kateb ayant qualifié son roman d’« autobiographie au pluriel », la subjectivité autobiographique qui correspondrait à celle de « l’auteur » se divise d’abord en quatre protagonistes, et ces quatre copies partielles du « sujet originaire » ne se distinguent pas effectivement en relief personnel.

アルジェリア文学を代表する作家の一人であるカテブ・ヤシンのテクストは、さまざまな矛盾をはらんだ断片の集合体であり、独立した作品にまとめられたのはその一部のみとも言える。諸断片は、物語を共有しつつも、その主観世界や登場人物像は必ずしも一定していない。小説『ネジュマ』は「複数形の自伝」とも呼ばれており、4人の主人公は作者に擬せられた主体をさらに部分的に分有する「うつし」と看做される。その無「個」性はこれまで部族的集合性などの見地から論じられてきたが、むしろカテブ作品のキャラクターが「うつろ」であり、人物がアルジェリアの現実を映し出す「うつわ」として機能していることを示唆している。実際、部族の祖先たる「老ケブルート」は、個的かつ集合的な存在として複数の作品に登場し、鷹の形象を取ることすらあるが、主人公の一人ラフダルもまた禿鷲に転生するなど、そのうつろな主体は写し盗られることによって増殖し、互いに「のり−うつる」。しかし、この主体の複写的盗用によって語りの途上その都度ごとに(時に別様に)現れる「うつし−み」は、テクスト世界に一貫した主観性をもたらすものではない。それが別々の断片を跨ぐのならばなおさらである。

カテブは己のテクストの総体を「一冊の本」に喩えたが、そのページは同一平面上に織られたものではなく、各々が自律的かつ重複的なコスモロジーを有している。様々なテクストの集積である『星の多角形』は、その内部の個々の断片世界が各々のコスモロジーを形成するとともに、一冊に綴じられながらも縫い合わされ得ない断片の連なりによって世界の非直線性を強調する。その冒頭の断片をジャクリーヌ・アルノーは「宇宙発生の大爆発」と呼んだが、まさしく存在流出のマトリックスとしてのカテブのイマジネールの「うつし」がそこにある。『星の多角形』を読むことは、自律した断片のコスモロジーに参入しつつ、それらがずれながら連なっていく書物のコスモロジーを受けとめることに他ならないが、同時にその断片は書物の外部の断片と共鳴することによって書物の次元を解体してゆく。このコスモロジーの創出・構成・解体の円環運動を生み出すエクリチュールの運動をカテブの「コスモグラフィー」と呼ぼう。

断片世界の自律と相似はこのコスモグラフィーにおける主体の複写的盗用と差延より発するが、別の面から見れば、その原質たる詩的世界そのものがドゥルーズの謂う「大洋島」のように発生する。それはハワイ諸島がホットスポットから噴出する溶岩によって形成されたように、間欠的に流出するマグマ的ポエジーによって生み出され、地殻の移動によってずらされた地点に相似した火山島が次々にうつし(移し=写し)とられてゆく。しかしながら、我々の眼に映るのは非直線の結び目としてただ水上に隆起した島々のみであり、その列島的に生み出され連鎖する断片としてのみ、カテブ・ヤシンのエクリチュールは現前するのである。

 

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